天下の愚策、創氏改名

第一次近衛内閣の唱導する国民精神総動員運動は、37年(昭和12)10月中央連盟創立によりスタート。陸相時代、竹槍三千万本があれば列強は恐るるに足らずと言って顰蹙
を買った、精神論者荒木貞夫が39年3月28日国民精神総動員委員会の委員長に就任。

6月16日生活刷新案が具体化され、ネオン全廃、男の長髪禁止、パーマネント禁止、
そして日の丸弁当がもてはやされ、町には国民服やモンペ姿の男女が増加します。

36年に始まった新聞報道統制は、支那事変が勃発すると軍事・外交の掲載を制限。時
局の進展に伴って用紙割当ての形で新聞社の死命を制します。一方軍部の統制に脅か
されながらも、新聞は戦争記事で読者数を伸長させ、経営危機を免れるのです。

39年12月26日政府は創氏改名という朝鮮人の氏名を日本名に変えさせる「朝鮮戸籍令
改正」を押付けます。朝鮮の文化を真っ向から破壊するとんでもない政策でした。満
州事変勃発時、陸相として関東軍の作戦を次々に追認して加担した南次郎が累進して
第七代朝鮮総督となり、日本の紀元節に当る40年2月11日この愚策を実施します。

最初は創氏と改名は任意であるというお触れであったが、日本名を届出なければ学校
入学、就職、結婚もできず、朝鮮では生活できないように仕向けたのである。

止むなく届出られた日本式氏名には、南太郎、裕川仁や玄田牛一もあった。文字を合
わせば畜生になる。鉄甚平というのもあった。金という姓を失っても甚だ平気だとい
う意味である。役場の係官は不敬・不逞と怒鳴りつけ横っ面を張りとばしたという。

総人口の78%にあたる1600万人が日本式の氏名に変わり、後の大韓民国第五代
大統領・朴正煕も高木正雄を名乗りました。

朝鮮民族の苗字である姓は、先祖の出自と代々の系譜を表すためことのほか大事にさ
れた。日本陸軍はその大切な姓を奪ったのである。なんという蛮行------言葉もない。


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