金丸・小沢の土下座外交

猛威を振るった地価上昇は、竹下政権のもとでの不動産融資の総量規制など諸対策が実って落ち着きを示していた。消費・投資も堅調で物価は安定していた。しかし株価は上昇を続け4万円台を窺う勢いで、実体とかけ離れた相場となっていた。

89年12月大納会での38,915円をピークに株価の暴落が始まり地価も下がり始めた。それでも事態の深刻さは認識されなかった。すでに農協系金融機関などで破綻が始まったが、金融当局は救済合併でごまかした。バブル崩壊は必然だったから、そのことで海部内閣を責められない。だがそれを予想もせず、対策が遅れたのは海部の責任である。

社会党副委員長田辺誠の肝煎りで90年9月自民・社会両党の議員による金丸訪朝団が平壌を訪れた。マスゲームで大歓迎された経世会会長金丸信自民党幹事長小沢一郎らは、金日成と日本語で会談。

その結果、国交正常化や植民地統治時代の補償とともに、日韓国交回復時の条件と整合性のとれない「南北朝鮮分断後45年間についての補償」という約束も政府と相談なしに自民党社会党朝鮮労働党の三党で交された。この金丸らの愚行に「土下座外交」と非難が集中した。これを聞いてビックリしたのは韓国とアメリカである。

朝鮮やベトナムの分断は、米英ソ三国のポツダムでの軍事委員会の合議に基づいており、朝鮮の分断を決定づけたのは朝鮮戦争である。侵略したのは北朝鮮であったとさえ言われており、まして日本は戦争の当事国ではない。日本政府は直ちに釈明の特使を米韓両国に派遣した。

これにより日朝間の問題をこじらせる結果になったのは、日朝両国にとって不幸であった。かって台湾総統李登輝は金丸に会って、このレベルの男が日本のキングメーカーであり、政界のドンであるとは信じられないと語ったという。


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