蒋介石が負けた真相

蒋介石毛沢東になぜ敗北したのか?その理由はソ連スターリンが米国ロックフェラーの傀儡であったからである。米国は共産中国をつくってソ連の影響下に置こうとした。マッカーサー蒋介石への支援を本国に進言するが、そのたびに拒否されます。「日本を相手にした時は、蒋介石と手を握ることに反対しなかった連中が、なぜ共産主義勢力を相手にする時にはそれを嫌がるかは、ついに明らかにされなかった」と回想している。

米国の戦略事務局OSS(CIAの前身)のドノヴァン長官は、大量の武器や物資を延安の毛沢東側に援助していた。毛沢東はそれを日本軍との戦いには使用せず、国民党打倒に使うべく備蓄し、共産党軍の強化に努めたのである。統合参謀本部は国民党政権に共産党を加えるよう要求し、国務省蒋介石政権が共産党軍の制圧に乗り出したら支援を打ち切ると恫喝までしたのである。

この政策の総仕上げに、マーシャル将軍自ら中国に赴任し、蒋介石に引導を渡して共産党を勝たせるのである。共産党はあと一押しで壊滅する段階で、マーシャルが共産党軍への攻撃停止を命令。何ヶ月も停戦させられる間に毛沢東が力を取戻し、最終的に蒋介石を倒した。51年「赤狩り」で有名なマッカーシー上院議員は、マーシャルこそ中華人民共和国の産みの親だったことを明らかにしたのである。

50年6月に勃発した朝鮮戦争は、米国が負けるために引き起こされた戦争である。そもそも北朝鮮による侵攻の種を蒔いたのは、国務長官・アチソン演説だった。「米国のアジア地域の防衛線には、南朝鮮を含めない」と言ったのである。これは北朝鮮金日成に、「韓国を侵攻してもいいですョ」と言ったも同然なのだ。

満州の補給線や鴨緑江の橋梁への攻撃というマッカーサーが勝とうとする作戦は悉く拒否され、結局、国防長官マーシャル将軍の意向に逆らう発言を繰り返したということで、マッカーサーは解任されてしまう。

マッカーサー回想記に「作戦行動の詳細が英国に流出していた。英国からソ連、インドを通じて中共軍と北朝鮮軍に流れていた。林彪中共軍が鴨緑江を渡っても、満州内部の補給線を爆撃される心配はないということを、明らかに知っていた」と書いている。米政府が満州への爆撃を禁じた表向きの理由は、ソ連が参戦してきて第三次世界大戦になるというものだった。

米軍は国連旗の下で戦った。国連安全保障理事会が承認しなければ国連軍は編成できない。安保理には拒否権を持った常任理事国であるソ連がいる。国連軍が朝鮮戦争に介入する最終的なゴーサインを与えたのはスターリンその人だった。その理由は簡単で、ソ連安保理を欠席したのである。グロムイコ外相が、国連軍の創設というソ連北朝鮮に不利な決議案に拒否権を行使すべきと進言したのに対し、スターリンは「ソ連代表は安保理事会に出席すべきではない」と言ったという。(グロムイコ回想録)

73年6月末、ロックフェラーは共産中国を訪問し、彼のチェース・マンハッタン銀行は中国銀行アメリカ代理店になる。訒小平ウォール街の国際金融勢力と手を結び、疲弊した中国経済の活路を見出そうと改革開放路線に突き進むのである。


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