2012-01-01から1年間の記事一覧

空襲―無差別殺戮

米軍が必要としたのは、日本本土を直接爆撃できる空軍基地を入手することでした。 ソ連が厭戦からドイツとの講和を考える以前に沿海州のソ連空軍基地を利用すること で、42年(昭和17)12月30日ルーズベルトはこの旨の親書をスターリンに送付します。 しかし、…

智将栗林中将の戦術

サイパン占領後、米軍は日本本土の戦略爆撃が可能となったが、2,500Kの距離では燃料切れを防ぐために爆弾の積載量が制限され、護衛戦闘機もつけられないので損耗が大きかった。硫黄島防衛司令官栗林忠道中将は米軍の次の目標は硫黄島と判断。硫黄島は洞…

共産主義を否定しない木戸内大臣

大島浩駐独大使は、リッペントロップ外相からヤルタ会談でソ連が対日参戦を決めた と知らされ、2回にわたり外務省に伝えます。しかし45年(昭和20)2月23日ストックホルム岡本季正公使は重光葵外相宛にソ連が対日参戦を決めた情報は誤りと伝えます。3月の時…

支那事変を仕掛けたスターリンが日本を侵略国と・・・

44年(昭和19)11月7日の革命記念日にスターリンは「日本はドイツと共に侵略国なり」とする演説が短波放送によって日本に伝えられ大きな衝撃を与えます。12月末から45年2月にかけて参謀次長秦彦三郎中将の命でクーリエとして参謀瀬島龍三中佐は瀬越良三と名…

戦死52万!

マッカーサー上陸部隊25万は、キンケイド中将の第7艦隊に護られて艦艇総数73 4隻でレイテ島東方に集結。44年(昭和19)10月20日10時上陸を開始し日没までに6万 の兵と戦略物資1万屯を陸揚。マッカーサーは「私は帰ってきた。我が軍は米比両国 民の血で…

レイテ海戦

陸軍がレイテ決戦を決め、第一航空艦隊司令長官大西滝治郎中将がゼロ戦に250K の爆弾を積んで米空母に体当たりする神風特別攻撃隊の編制を命じたのも、主力艦隊 突入による集中攻撃で、一挙に戦局打開を期待したからである。シンガポール南方のリンガ島…

作戦変更―ルソンからレイテへ

小磯内閣成立まもなく参謀本部と軍令部は今後の決戦態勢を確認。敵に一泡ふかせ戦 争終結のチャンスを掴まんとする捷号作戦を立案。44年(昭和19)9月26日第14方面軍 司令官(比島)に第1方面軍司令官山下奉文を、参謀長に近衛第2師団長武藤章を任命。この人…

哀れ日本帝国の情報収集力

41年(昭和16)6月22日独ソ戦争勃発直後から、ルーズベルト米大統領はモスクワに特 使を送り、ソ連を仲間に引き込もうと行動を起こしました。42年11月14日米特使ハーレイ、大統領付幕僚長レイヒイはモスクワでスターリンに会ったが、彼はドイツが敗れ去ったあ…

東条の総辞職

東条は倒閣を策す重臣たちに「総理大臣としていずれも落第した者の集まりではない か」と敵意を露わに表明し、憲兵・特高を使っての監視を強化。東条の改造内閣の動 きは海軍部内に信望の厚い米内光政を国務相として入閣させられるかどうかでした。反東条の…

異例! 梅津美治郎を参謀総長に再上奏した東条

東条英機という軍人が天皇に強烈な印象を与えたのは、38年(昭和13)5月のことでし た。支那事変の拡大派ではなかった近衛首相は政策を変えるため、拡大派の急先鋒杉 山陸相を板垣征四郎とする更迭案を天皇に訴え天皇も同意。天皇と近衛の意思を知った杉山と…

食生活の窮乏

主食の国家管理は七分搗きだった米が42年(昭和17)秋から五分搗きとなり、43年1月 から二分搗きになった。そればかりか押麦・高粱・とうもろこし等の雑穀が混入され、 馬鈴薯・うどん・乾パンが総合配給となり、東京では44年4月から雑炊食堂が開かれ 一般市…

日本の航空機生産

近代戦の主役となった航空機の生産が超重点的に強化されたのはいうまでもない。中 島飛行機・三菱重工業を中心とする民間企業が航空機生産の殆どを占めていたので、 陸海軍は対立に対立を重ねながら、それぞれ企業との非合理な関係を深めていきます。43年(昭…

河村部隊甲副官 田中徳祐大尉の叫び!

田中大尉はサイパンの戦いに参加し奇跡的に生き残り45年(昭和20)12月になって降伏。 この時米軍に投降するのを拒み、昭和陸軍の降伏命令書を要求して47人の兵士と共 に降伏しました。44年6月15日の米軍上陸以来、田中は中隊を率いて執拗に夜襲をかけ先頭…

サイパン陥落

サイパン島はドイツ領であったが第一次世界大戦で日本の統治下となり、日本人が入 植し南洋興発といった企業を起こし、2万5千人の日本人が住んでいました。44年(昭和19)5月2日宮中で天皇臨席のもと陸海軍両統帥部会議が開かれ、参謀総長 東条は「サイパ…

マリアナ沖海戦

マーシャル諸島に続いてマリアナ諸島のサイパン・テニアン・グアムが狙われるのは 必至であった。44年(昭和19)5月3日連合艦隊司令長官に親補された豊田副武大将の 構想は、給油条件の悪化から決戦場を待機地点に近いパラオ付近とし、陸軍の航空部 隊が迎撃…

中国大陸打通作戦

日本軍がビルマや太平洋の各地で崩れかかる事態になっても、依然として陸軍の主力 約100万人は中国戦線を中心とした大陸に釘づけとなります。汪兆銘政権との戦争協力、日支提携をうたいながら、実際は物資獲得の増大を主眼と し、現地日本軍は農民から食…

米軍の飛び石作戦

既に戦況の主導権は米側にあり日本軍は米軍が選んだ戦場で戦う以外に有効な方法は 持っていません。東条参謀総長や寺内寿一南方軍総司令官はルソン島に及ぶ米軍の西 進を防ぐ檄を飛ばし、米軍の次なる目標はハルマヘラ島であるとかたくなに考えます。44年(昭…

杜撰!インパール作戦

43年(昭和18)4月頃から連合軍はビルマで英軍を中心に反攻態勢に入ります。また11 月に開いた大東亜会議に陪席したチャンドラ・ボースの自由インド政府の拠点を固め インドの独立を世界に宣言しようとの政治的思惑もあり、インパール作戦構想は44年 1月7日…

トリックを使って参謀総長兼任

44年(昭和19)2月6日マーシャル諸島のクエゼリン島、ルオット島の守備隊6800 人が玉砕。次の米軍の狙いは日本海軍最大の基地トラック島であろうと予測します。 2月10日連合艦隊司令部は、一隻の空母もなく決戦を躊躇、旗艦「武蔵」以下を日本 やパラオ…

増幅する陸・海軍の相互不信

連合艦隊司令長官山本五十六のラバウル死守のためのガダルカナル航空基地を空爆する「い号作戦」のX戦は43年(昭和18)4月7日から14日まで行われ日本軍は682機 出撃。実際の戦果は駆逐艦・油槽船各一隻、輸送船二隻を撃沈、輸送船・給油艦等三 隻大破。…

激しさを増す東条独裁

東条首相は「米国民は疲弊している」「世情が厭戦気分になっている」などと常に楽 観的な捏造情報を参謀本部情報部につくらせ海軍軍令部に伝えます。ミッドウエイ大 敗をひた隠す軍令部は、やがて参謀本部情報部の情報に信を置かなくなります。天皇は独白録…

ドイツ軍も兵站に失敗 !

太平洋戦争の期間日米の兵器生産力を比較すると、航空機6万8千機に対し29万機 戦車4千両に対し2万5千両、小銃や火砲は7倍〜10倍、砲弾に至っては日本の76 00万発に対し米国は400億発にも達していました。独ソ戦に目を転じると42年〜43年にか…

ニューギニア戦線の絶望

ガダルカナル攻撃が本格的攻撃だと判った時には、米側は近傍に機械力を駆使して僅 か2〜3日で飛行場を建設して制空権を握り、日本の補給を担う輸送船は沈められる ばかりで、現地部隊は圧倒的に優勢な敵の前に孤立してしまいます。マッカーサーは 42年(昭…

マッカーサーの戦略

日米開戦時の日本のゼロ戦(三菱重工業設計)は世界中が瞠目。航続距離、速度、上昇 能力、操縦性で最も優れた戦闘機でした。42年(昭和17)6月アリューシャンの戦闘で アクタン島に不時着し操縦者が死亡、殆ど無傷のゼロ戦が米軍の手に渡ります。米国の技術者…

作戦部長と軍務局長の殴り合い

ガダルカナルの飛行場を米側がフルに使いだしてからは制空権は常に米側にあった。 42年(昭和17)11月10日頃、高速の輸送船11隻で一個師団(佐野忠義中将)と軍需品を 増援しようとしたが、着いたのは4隻でそれも砲爆撃を受け、増援を待つ部隊に補給 は届かず…

一本の滑走路をめぐる争奪戦

42年(昭和17)6月5日のミッドウエイ惨敗の前に策定された米豪遮断作戦行動である ソロモン諸島の南端の島ガダルカナルに、海軍は7月頃から飛行場建設を始めます。 日本は既にニューギニアのニューブリテン島北東端のラバウルに強固な航空基地を設 けていた…

ミッドウエイ作戦の大失敗を隠蔽する日本海軍

山本連合艦隊司令長官の、アリューシャン列島のキスカ島・アッツ島攻略により日本 が北方作戦に出たと思わせて、ミッドウエイ攻撃を行うという牽制の意味を持つ作戦 のゴーサインを大本営は42年(昭和17)5月5日発令します。しかし米国は暗号電報の解読によ…

ドゥリットル空襲そしてミッドウエイ

太平洋上の米空母ホーネットから発進した、ドゥリットル陸軍大佐率いるB25爆撃 機16機は、42年(昭和17)4月18日昼過ぎ東京上空に進入し、東京に爆弾を投下。川 崎・横浜・横須賀・名古屋・四日市・神戸などを爆撃して、東シナ海から中国の米軍 基地へ逃…

戦時下の翼賛選挙

第二次近衛内閣の時、戦時下を理由に一年延長になった衆議院議員の任期が42年(昭 和17)4月29日で満了となるため、4月30日5年ぶりに総選挙が施行されます。東条首相が陸相・内相を兼任したのは、天皇の意向に従ってハルノートに屈した場合、 クーデターや…

強制連行・従軍慰安婦

緒戦の日本軍は連戦連勝を重ね兵站線はのびにのびます。兵員と軍要員が大幅に不足し軍需品生産を支える労働力も足りない。その補充のため朝鮮に眼が向けられ42年 (昭和17)5月朝鮮での徴兵制が閣議決定され、同年12月には朝鮮全土121ヵ所に青 年特別錬成…